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エディーに愛された男。引退・宮本啓希(サントリー)の生きた道、生きる道。

妻・智恵美さん、1歳4か月の長男・旬くんと暮らす。
「4歳になったらラグビースクールへ、と思っています」。(撮影/松本かおり)



 人が好きだ。
 だから営業に向いている。プレーをやめたら社業に戻ろうと思っていた。
 人から好かれる。頼られる。
 だからチームに残ることになった。
 2017-2018シーズンを最後にプレーヤーとしての人生を終えた宮本啓希(みやもと・ひろき)はサントリーサンゴリアスで9年プレーして、スパイクを脱いだ。

 新しいシーズンからは副務を務め、採用担当者としてサンゴリアスを支える。
 オフフィールドでチームに求められていると知ったのは昨夏のことだ。
「夏合宿でした。新しいシーズンはスタッフへ、という打診でした。もともと現役を終えたら仕事を頑張りたい気持ちがあったので迷いました。すぐには返事をできませんでした」

 揺れる気持ちが固まったのは、田原耕太郎チームディレクターや野村直矢主務と話す中に響く言葉があったからだ。
「(サンゴリアスの中で)任されるそのポストは、世界でひとりだけなんだぞ、と」
 毎週、勝ったり負けたり。いいこともあれば、悪いこともある。
 先輩たちは、そんな世界に生きるチームを支えるスペシャリストだ。そのやり甲斐を伝えてくれた。
 覚悟を決めた。

 チームに求められる。幸せなことだ。
 その一方で、シーズン前の来季構想外通告。プレーヤーとしてのモチベーション維持は可能だったか。
 当然、それまでと同じ熱を持って試合への準備を重ねたつもりだ。
 しかしすべてを終えて振り返れば、やはり以前とは違う自分がいたように感じた。

 例えばサンウルブズ選出など、同じポジションの中村亮土の大活躍について「一緒に練習する後輩がいいプレーを出せるようになって嬉しかった」。
「素直にそういう気持ちになれた。その感覚は、やはり以前とは違ったかな、と思いました。なにがなんでも試合に出たいなら、言葉は悪いですが、もっと(練習で)削りにいっていたと思います」
 ラストシーズン、試合出場はなかった。
「出場メンバーを決めるのは監督ですが、選手である以上、試合に出る値打ちを保っていなければいけなかった。そこ(選択肢の中)にいられなかったのは反省です」
 そのチームマンとしての意識が周囲に求められる理由だろう。

 天理中、天理高、同志社大と、いつもバイスキャプテンだった。監督からの怒られ役を一手に引き受けていた。
「いつも、キャプテンに言ってくれよ、と思っていました。でも、どうして自分に…と考えてしまうとグラウンドに行くのが嫌になるので、理由を考えないようにしました」
 サンゴリアスでは選手会長を務めた。
 オフフィールドでのまとめ役。納会などの集まりで仕切り役を任され、ラグビースクール訪問時にはチームの顔になった。子どもたちからの人気も絶大だった。

 高校日本代表やU19日本代表など、その経歴が示すように、学生時代はエース的存在。そのプレースタイルをサンゴリアスに入って変えたのは、入社2年目にエディー・ジョーンズ体制になったのがきっかけだ。
「大学まで、試合中はいつも『かせ、かせ』と言ってボールをほしがる選手でした。でもサントリーには、自分で持っていける人が他にたくさんいた。そんな中でエディーかやって来た。考えやプレーが変わらないと1、2年で辞めなアカンな、と思ったんです」

 過去に固執せず、モデルチェンジを図ったのが奏功した。
 エディーはピッチ上でのコミュニケーションなど細部にこだわる指導者だ。そして、そういうところに自ら気づく選手を好む。
 そこに勝機あり、だ。
「もともと試合中もよく喋るタイプでした。その内容をもっと具体的に、意味のあるものにしました。力のあるプレーヤーとプレーヤーをつなぐ存在になろうと」
 エディー就任の年、途中出場ながら日本選手権決勝のラストシーンをピッチ上で迎え、歓喜の輪に加わった。人生で初めての日本一。サンゴリアスでの9年間、59キャップの中で、もっとも記憶に残る試合だ。
 そういえば、チームのイベントのたびに司会に指名したのもエディーだった。
 そのときから8年間、宴会で酔えない人生を過ごす。
 この人との出会いは、人生を大きく変えた。

 5歳でラグビーを始めた。祖父、宮毛良一さんは自分で革ボールもラグビー部も作ったラグビー愛好家だった。その血をを引いた母・順子さんが、近所にあった生駒少年ラグビースクール(奈良)に連れて行ってくれた。
 中高で学んだ天理ラグビーが自分のベースを作った。「接近。そこからズラしてボールをもらう」動きは身に染みついている。
 大学時代は、10番を背負えば自分で仕掛け、仲間を活かすパスを駆使した。15番では相手SOとの駆け引きが好きだった。動きを読んで、いつもキックをダイレクトキャッチ。気の利くプレーが得意だった。

 サントリーでは一流の指導者たちが自分を豊かにしてくれた。
「沢木さん(敬介/監督)の考えも刺激的でした。変わっていかないと衰退しかない、毎日ちょっとずつでもいいから成長しよう、と」
 それぞれの指導者の哲学がいつも自分に刺さった。
「常に変わろう、チームを成長させようと考えるなら、いま自分は何をしないといけないかクリアになる。それ、仕事でも一緒なんですよね」
 東京支社で業務用酒販店を担当。仕事もラグビーも100パーセントで取り組んできた。

 4月からは採用担当者として、大学チームの試合会場へ足を運ぶことが多くなりそうだ。
 副務としての仕事も忙しい。
 周囲からは「休めないぞ、と言われています」と苦笑する。
「これまでとステージは違いますが、チームが3連覇するための力になりたい。これまでと同じことでなく、違うこともやっていきたいですね。一日一日やることを積み重ね、毎日確実に成果を出す。自分のやるべきことを早く把握できるようにしないと。サンゴリアスが世界に知られるチームになっていく中にいられたら。そう思っています」

 そのためにも好選手を見つけ、チームに供給していきたい。
「試合の中で目立つ選手もそうですが、ボールを持たないところで動いている選手、ピンチになりそうな気配を読んでいる選手、チャンスを感じている選手も見つけていきたい」
 BKでは珍しく両耳がギョーザになっている。苦手だったタックルを克服するため、大学1年の時に集中して練習をしたからだ。
 玄人好みの好選手を発掘する予感がある。

miya

1986年10月3日生まれ。ビール、ハイボールが好きだ。(撮影/松本かおり)






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